謹んで地震災害のお見舞いを申しあげます。
このたびの大規模地震により被害を受けられました皆さまに心より
お見舞い申しあげます。
皆さまの安全と、一日も早い復旧をお祈り申しあげます。
べったら市
2009年
10月19日 17:30 日本テレビ 木原さんの天気予報を宝田神社前中継
10月19日 7:30 文化ラジオ 吉田照美放送
10月19日 11:05 NHKラジオ ラジオビタミン放送
10月30日 11:05 NHKテレビ いっと6けん放映が国会中継の為中止
になりました。
11月 6日 11:05 NHKテレビ いっと6けん放映に変更になりました。
又、また国会中継の為中止になりました。
11月16日 11:05 NHKテレビ いっと6けん放映
今度は本当に放映するでしょう。 |
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宝田神社
この神社は慶長年間に江戸城拡張のさい城内にあった豊島郡宝田村が、
いまの大伝馬町(本町三丁目むかしの大伝馬町一丁目)
に換地になったさい、現在地に移り、大伝馬町の
守護神として古い歴史をもっており、
宇迦之御魂神、素盞鳴命、大国主命、事代主命、大穴持命、少彦名命等六柱
を奉祀している。
御本尊の恵比寿様は、鎌倉時代の名匠運慶の作ともいわれ、家康が大江戸繁昌を
祈念して寄進したと伝えられる由緒深い江戸開発・商売繁栄の護神として、
多くの人々の崇敬を集めている。
同社は明治六年には、神田神社兼務社となり、
本町三丁目(旧大伝馬町一丁目)
大伝馬町一丁目(旧大伝馬町二丁目)
が氏子である。
大伝馬町のゑびす様
宝田恵比寿神社は昔から江戸八百八丁の商人たちから
「大伝馬のゑびす様」とあがめ親しまれていることで有名である。
これは大伝馬町は江戸開府以来の木綿問屋の町であったことと
結びついている。
全国の商人がつぎつぎと江戸の地にあつまり、江戸の街が急げきに
繁昌してくるのに、ともなって、これらの商人たちによって盛大な恵比寿神社の
祭礼が営まれ
「商売繁昌、開運の恵比寿さま」と奉賛されるのである。
それが、正月二十日と十月二十日には繁栄を祈って盛大に
「夷講」(えびす講)を行った。
近来は、ほとんど十月の方に重きをおかれるようになったが、
その前夜の十九日の晩には、宝田神社を中心に、えびす講に用いる諸道具や
大根の浅漬をあきなういわゆる「べったら市」がたって、今日にいたるまで東京の
盛大な名物行事となっている。
べったら市
十月十九日の「べったら市」と、つづいて二十日の「恵比寿講」の行事は、
昔から永い商家の慣習となっている。
「恵比寿、大黒、福の神」といわれるように、恵比寿様は、商家にとって商売繁昌の
祭神であるので毎年十月二十日にお祝いする。
江戸時代は、きわめて盛大にとり行われ、神前に鯛や柿、栗、大福をはじめとして
山海の珍味を供え、親戚知人、あるいはお得意さんを招待し、
平時の労を慰める機会でもあった。
この恵比寿講に使用する道具とべったら漬を売るのが、いわゆる「べったら市」
である。
文化十一年(一八一四)の「遊歴雑記」によれば
「その日は天気だと朝から夜は子の刻
(十二時)まで、本町三丁目から大伝馬町の大丸屋までの両側の軒下に商人が
天地もなく居並び、声を張り上げて買い手を呼び競う・・・・夜に
なると益々盛んになって広い往来をうずめる。
これは日本橋、本船町、安針町,小田原町などの魚問屋が持てあました魚を
ここへ持ち出して売り始めたのが例となったもの
で、そのころは生魚だけで、悪口に伝馬町のくされ市とか、はなくれ市ともいった。
今は干し魚、塩魚もあって縁起の恵比寿大黒をはじめ
古着、小道具、小間物、瀬戸物、植木の類まで、
ないというものがない。」となってる。つまり、年に一度ここに何でももってくれば
いくらでも売れたという繁昌ぶいであり、特に問屋街の年に一度の大見切り売りと
いうことで地方からも商人が殺到し、歳の市の先駆として、
この市の売買によってその年々の標準が定まるといわれ、商家にとって重要な
年中行事となってきたのである。
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