日本橋大伝馬町一之部町会







    謹んで地震災害のお見舞いを申しあげます。



      このたびの大規模地震により被害を受けられました皆さまに心より

      お見舞い申しあげます。

      皆さまの安全と、一日も早い復旧をお祈り申しあげます。




石倉町会会長の多事争論






平成24年3月27日( 火 )[第30回配信][最終回のご挨拶]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

 平成14年4月に当町会の会長を拝命してから、早いもので丸10年経ちました。
一人の会長が永いこと会長席を独占していることは、@町会運営の固定化、
A老朽化、B新しい考え方への妨げ、C優秀な人材の活動の機会を奪う、
などなど、弊害があるばかりで、町会としてのメリットはありません。当方、  
昭和5年1月生まれの82才、頭の回転が鈍ってきたのは言うに及ばず、置いた
ものをすぐ忘れる一時記憶の衰えが、ことのほか目に見えて参りました。  
そのような理由で、この3月末日を持って、会長を辞めさせて頂きます。   
 永いこと、この「多事争論」に、お付き合いくださいまして、大変有難うございま
した。技術的な理由もあって、絵も入らず、最近のウェブサイトでは当たり
前の、ウェブ配色も出来ず、残念ながら、旧態依然とした黒白の字ばかりの
「多事争論」でありました。ITの進歩は速く、数年たってこれを見る人は    
「なんて、旧式なやり方だな」と思われるかも知れませんが、現在の実力は、
この程度が精一杯で、これ以上はとてもついて行けません。お許し下さい。
そんな「多事争論」でも、永きに渡り、お付き合い下さいました皆様に、
最後に改めて、衷心より御礼を申し上げます。
以上




平成24年3月27日( 火 )[第29回配信][町会役員回覧2]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

 先月に引き続き、「町会役員回覧ソフト」についての説明とその使い方について書
きます。これは、大伝馬町一之部町会が作って、現在、毎日使っているものです。
便利なものでありますので、ここで公開して、皆さんのお役に立てて頂こうと思います。
これが皆さんの情報共有の一助となり、民主主義を一歩進めることになれば、嬉しい
限りです。添付ファイルの"H23.12.20町会役員回覧ソフトverH23説明書.doc"を開き、
Wordファイルとして保存してください。以下は、その「説明書」に従って下さい。最初に、
添付ファイルの"H23.12.20A4町会役員回覧とリスト(1〜).xls"を開いて、Excelファイルとして
保存する指示が出ます。このファイルの中にVBA(Visual Basic Application)プログラムが
入っています。プログラム自体の内容を見る必要はありませんが、見たければ、編集
ボタンをクリックして、ソースプログラムを見ることが出来ます。
では、「説明書」をご覧下さい。質問があれば、メールを下さい。
以上

町 会 役 員 回 覧 ソ フ ト(ver.H23) 説 明 書
大伝馬町一之部町会
(H23.12.20)

  ○VBA(Visual Basic Application)プログラムのダウンロード添付ファイルの "H23.12.20A4
町会役員回覧とリスト(1〜).xls"を開、Excelファイルとして保存する。

○  準備 1. Excelファイルの"H23.12.20A4町会役員回覧とリスト(1〜).xls"
を開く。
  2. マクロを有効にする(E:)クリック→次の画面が出る。

 

  4.A、B、C、D、Eの欄に文書を回覧したい貴町会の役員名を入力し
て下さい。
  また、年が変わったら年数を訂正して下さい。
  5.「一番目の資料の件名」と2行書いてありますが、上の行(仮に0番
  と書いてある行)は特別な行ですので、触らないで下さい。
  6.下の行(1番と書いてある行)から下を使って、文書リストと回覧伝票
を作成します。
7.用紙の準備                                           
  1)回覧伝票用:A4の用紙を3等分した色紙(21×9.9cm)
2)文書リスト控印刷用:A4用紙               

○文書リストの入力と回覧伝票の印刷                                                         
  1.上記5の「一番目の資料の件名」と書いてある下の行(1番と書いてある行)
  へ、左から(通し番号)(月)"/"(日)(件名)(会合日時)<小さいが2行使えます>
  (会合場所)<小さいが2行使えます>欄外に返事が必要ならハガキ/封書の
返信日限を入力します。(実例参照)
2.欄外の( / )は、回覧が戻ってきた月日の記録用です。                       
3.訂正は通常のExcelと同じ方法です。                                              
 4.入力に誤りが無いかを確認して、OKならプリンターに回覧伝票用用紙を
セットします。(プリンター電源の入っていることを確認)
5.カーソルを入力した行の左端の(通し番号)に合わせます。                  
6.ツール(T)→マクロ(M)→マクロ(M)クリック。                                                 
7.画面一番上の"副会長回覧印刷とリスト保存"を選択して実行(R)クリック。  
8.町会役員回覧伝票が印刷されて出てくる。                                      
9.印刷が終わるとカーソルが自動的に左端の次の行に移ります。次は、 
その行を使います。
10.文書リスト控を印刷しない時は→○結果の保存へ。                          
                          
○文書リスト控の印刷                                                                              
1.印刷したい範囲の先頭と末尾のセルを読みます。 「A列のm行から     
Y列のn行」(Excelではこれを「$Am:$YnまたはAm:Yn」と書きます)をメモ
します。
2.プリンターにA4用紙をセット。                                                        
3.ツール(T)→マクロ(M)→マクロ(M)クリック。                                                 
4.画面上から2番目の"副会長回覧控印刷"を選択し、実行(R)クリック。      
5.画面に「$Am:$Yn/Am:Yn型で範囲を入力して下さい」のメッセージが出  
るので、指示に従って、半角で"Am:Yn"と入力し、OKクリック。
6.文書リスト控が印刷されます。                                                       

○結果の保存                                                                                          
 1.ファイル(F)→名前を付けて保存(A)クリック→マイドキュメント確認→保存(S)クリック。
 2.リムーバブルディスクに保存するのなら、フラッシュメモリーが接続され           
ていることを確認→ファイル(F)→名前を付けて保存(A)→マイドクメント▼
クリック→リムーバブルディスク(E:)→開く→保存(S)クリック

○フラッシュメモリーの取り外し                                                                  
1.勝手にフラッシュメモリーを外してはいけません。                               
2.画面を消してデスクトップ画面にする。                                                
3.右下隅のハードウエアの安全な取り外しのアイコンをクリック。                        
4.USB大容量記憶装置デバイス-(E:,F:,G:,H:)を安全に取り外しますをクリック。
5.画面に「USB大容量記憶装置デバイスは安全に取り外すことができます」
のメッセージが出る。
6.フラッシュメモリーを取り外す。                                                      
7.もし、この方法が出来ない場合には、コンピューターを完全にシャットダウンし    
てから、フラッシュメモリーを取り外します。

○文書リストを記入する空白行が少なくなったら。                                        
予め、空白行を下へコピーして追加して下さい。
以上






平成24年1月19日(木)[第28回配信][町会役員回覧1]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

 昔の領袖は、「由らしむべし知らしむべからず」として、情報を独占し、
権力の糧としましたが、民主主義では、全く逆で、「情報の共有」、
「情報の公開」が、その第一歩なのです。当町会では、すでにこれを
実践しています。町会長のところへ来る資料は、大変な数です。
区役所・警察・消防・学校・各種団体・等から、月に25通を超えます。
会合召集通知、出席報告も含めると、優に1日1通を越えます。
これを、町会長だけが見て、握り潰してしまっては、民主主義の
ルールに反します。当町会では、数年前から、これらの書類を
町会役員(現在8名)に、直ちに回覧しております。専任の事務局が
ないので、出来るだけ手間を省けるように工夫して、ボランティアーで
やって頂いております。すでに実績は、累計で2100通を超えております。
 最初は、すべて手書きで始めましたが、汚いし、面倒だしで、すぐに、
コンピューターの利用を考えました。回覧をするために、作らねばならない
ことは2つです。
@ 資料のリスト、即ち[控]
  A回覧物に添付する伝票(回覧メンバーの名前を
  列記し、閲覧日・出欠表示欄アリ)、即ち[回覧伝票]
@は、今の所、どうしても人の手で入力しなければなりませんが、Aは
機械に任せればよいよいです。手順は、次の通りです。
 1.必要事項の入力(資料のリストの作成)Microsoft Excelを使います。
資料1つに付き1行を当てて、1行の左から、(通し番号)(発行
月日)(件名)(会合開催日時)(開催場所)(出欠返事日限)
(回収日)の欄を設けておき、欄内に、必要事項を入力します
(不用欄は空白のまま)。後に必要に応じて、まとめて印刷
して[控]とします。
  2.[回覧伝票]の作成回覧したい資料の(通し番号)のセルにカーソルをあて、実
行ボタンをクリックするとMicrosoft Excelのマクロ(VBA(Visual Basic 
Applicatrion))が働いて、自動的に[回覧伝票]を印刷します。
3.資料に[回覧伝票]をホッチキスで留め、資料ごとにクリアフォルダーに入れる。
  4.回覧開始。この方式を始めた当初は、回覧資料を次に回すのが面倒に
なったり、途中で停滞、紛失するようなこともありましたが、間もなく、
そのような心配はなくなり、むしろ、情報が早く入ってきて有難いと、
喜ばれています。民主主義では、当たり前のことです。来月、もう
少し詳細に説明します。
5.近隣町会には、すでにお知らせしました。日本橋二之部町会連合会の
平成22年の新年会の席上で、全町会会長に資料をお渡しして、
お知らせしましたが、殆ど皆さんの関心が薄く、3町会から問い
合わせ(USBメモリーをお貸しした)があっただけでした。
  6.情報の共有が民主主義の第一歩です中央区内といわず、何処の町会の
民主主義推進のためにも、早く皆で情報を共有するようにしましょう。
コンピューターという文明の利器を使えば、人手をかけずに出来るのです
から。

以上






平成23年12月16日( 金)[第27回配信][国際ナンパ]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

「軟派」という名詞は、昔は、女性に関りのある不良少年の1グループを指
したものだったが、最近では、「ナンパ」あるいは「ナンパする」は、見ず知
らずの女性に声をかけて知り合いになることを言うらしい。当町会の
夏の納涼大会(スイカ割り大会)に、一人の区議の先生がお見え下さり、
テントの中でビールで盛り上がっていた所へ、自称「ミス中央」という
二人の女性が現れ、前の席に座って話が弾んだ。その内、話が「ナンパ」
のことになり、私から「先生にナンパに仕方をお教えします」「その第一
歩は、女の子からケータイのメールアドレスを聞き出すことですよ」と、その子の
アドレスをメモしてもらった。それを見ながら先生は、一生懸命ご自分の
ケータイに入力された。それを送ったら、その子のケータイが鳴った。アクセス
成功である。「先生だって、出来るじゃないですかと」と褒められていた。
 その後、そのアドレスがどう利用されたかについては、私の存じ上げる所
ではございません。その「ミス中央」は、どうも本物ではなかったらしい。
 次は「国際ナンパ」のお話。べったら市の10月19日の午後、一人の外国人
の女性が町会詰所の中を覗いていたので、「どうぞお入りください。日本の
お酒はいかがですか」と招き入れ、椅子に座ってもらった。日本酒や
べったら漬け・切山椒で歓待した。その人は、ポーランド人でロンドンに
3年いたとかで、英語が通じた。舞台芸術の仕事をしているとかで、当時の
ホテル・ギンモンドに泊まっていたとのこと。翌20日の夕方、露天店の脇の道端に
座り込んで何かを食べていた2人の女性を発見。町会詰所にご案内した。
町会の歴史とかを話し、お酒が入ったので、皆で「グローバライゼーション」"
globalization"(国際化)とか叫んで気勢を上げた。ロサンゼルスに住んでいるとの
ことであった。ふと、入り口に立ててあった町会旗を見つけて
「あのチックナンドラムchicken & drum"(鶏と太鼓)の旗は何かと言われた。
とっさに諫鼓鶏の「諫める」という英語が出てこない。知らないのである。 
  仕方がないので、「昔の中国の帝王が『自分が悪政を行ったら、この太鼓を
敲いてくれ』と言ったとお茶を濁した。
     後で調べてみると、「諫める」は "to remonstrate"。その名詞は、"remonstration" 
だそうだ。だから、「諫鼓鶏」の旗は、"chicken & remonstration drum"
チックナンレモンストレーションドラム の旗 ということになり、次回からは、それが使える。
以上








平成23年11月25日(金)[第26回配信][新益発言の尊重]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

 みんなの役に立つ新しいことを言うことを「新益発言」と呼ぶことにする。
  今までにない新しい方法・新システム・新体制(総じて新ソフト)ならびに新しい
  機械製品・新化学品・新設備(総じて新ハード)についての発言が含まれる。
前回の配信でも書いたが、これからのわが国は、国の内からおこる
これらの「新益発言」を大事にし、尊重して、生かしていかなくては、
  模倣文明と決別して、オリジナルなアイディアで、世界をリードする国になる
  ことは出来ない。これまでの為政者は、ややもすると、国内の「新益発言」を
過小評価し、外国の発明を尊重するという傾向が見られた。これは、
明治以来の「舶来品偏重」の名残りなのであろうか。模倣文明を乗り
越えて、オリジナル文明に上がるためには、国内からの「新益発言」
  が最も必要なこととなる。国内からの「新益発言」がなければ、またまた、
外国の模倣にならざるを得ない。国内からの「「新益発言」は、日本が
オリジナル文明へ上がる必須条件なのであれる。この虎の子の
「新益発言」を大事に育て上げなければ、日本は何時までたっても、
  「模倣文明」のレベルに止まることになろう。 国内の「新益発言」を取り
上げるためには、
@ [為政者の不勉強]:為政者(官僚指導の官僚を含む)はよほど勉強を
  して「新益発言」を理解しなければならない。理解出来なければ、
取り上げることは、絶対に出来ないからである。これに反し、
  外国で成功した発明を持ってくるのには、殆ど勉強する必要はない。
  だから、不勉強な為政者でも、「買い入れ」や「模倣」は出来るのである。
  A [為政者の見栄]:次に、国内の「新益発言」を取り上げると、為政者は、
  自分より内容をよく知っている「新益発言」の発言者に頭が上がらない。
  頭を下げたくないから、国内からの「新益発言」を取り上げない。
  これでは永久に駄目で、貴重な「新益発言」は大事に尊重されね
ばならない。 要するに、為政者が「新益発言」を完全に理解し、
  発言者を崇敬する位でなければ、「新益発言」は取り上げることは出来
ないのである。

どうも、今までの為政者には、この@とAの傾向があったように思える。
こんな状態では、国内からの発明が日の目を見ることが出来ない。
このままでは、オリジナルなアイディアで、世界をリードする国になる
ことは出来ない。模倣文明に甘んじ、他国の発明を模倣するためには、
他国が発明するまで足踏みして待っていなければならないのである。
漢字を発明した中国やゼロを発明したインドが追いかけてきているから、
うかうか出来ない。
以上





平成23年10月28日( 金)[第25回配信] [記憶力偏重を避けよ]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

 わが国は今まで欧米の真似をして、世界1~2のレベルに競りあがってきた。
これからどうするか。外国の真似をするためには、外国が先に発明をして
くれなければならない。わが国はそれまで足踏みをして待っているのか。
そんなことでは、中国(漢字を発明した国)・インド(ゼロを発明した国)に
まけてしまう。何とか、国内での発明を拾い出し、それを育て、世界をリード
していかねばならない。しかし、わが国の現状は、なかなか発明が育たない。
大事な筈の発明家が過小評価されている。なかなかアイディアマンを見つけ出す
ことも出来ない。これには、人の選別方法に問題があるように思う。大学入試
にしても、その設問は、記憶力を質すものが殆どである。○×式はいうに
およばず、論文形式でも、直接「アイディアマン」かどうかを尋ねてはいない。結局、
今の筆記解答方式では、設問が不可能か、非常に困難だからやっていないので
あろう。発明家を育てることが、今後のわが国に必要なのであるから、
その選別方法のひとつを提案したい。次のような方法はどうだろうか。

問題:「あなたが疑問に思っていることを三つ書きなさい。その疑問の解答は書
かないでよろしい。」

採点が難しいと思うが、複数の試験官で採点し、平均を取ることで、
採点の偏りを少なくする。採点の基準を予め申し合わせておく必要がある
かもしれない。疑問の種類は、次のように分類出来よう。
  @改革につながる疑問
  (1)新方法・新システム・新体制(まとめて新ソフト)に繋がる疑問
  (2)新機械製品・新化学品・新設備(まとめて新ハード)に繋がる疑問
  A改革に繋がらない疑問
  B答えが分かりきっている疑問(愚問)

これでやってみてはどうだろうか。アイディアマンが見出せるかも知れない。
アイディアマンは、常に適切な疑問を持ち続けていると、思われるからである。
以上





平成23年9月19日(月)[第24回配信][ビゼーに元気を貰う]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

 ニューミュージックも聴くが、概して、クラシックが好きだ。ベートーベン・モーツアルト・
バッハ・ラロ・リムスキーコルサコフ・ストラビンスキーなどを聴くが、中でも、ビゼーが
好きだ。落ち込んでいる時に、ビゼーを聴くと、不思議に元気を取り戻せる。
ベートーベンやモーツアルトでは、そういうことはない。強いて言えば、シューベルトで、
幾分似たようなことを感じる。「カルメン」オペラのストーリーなどはどうでもよい。
曲のリズム、軽快さ、メロディーの美しさに惚れる。特に「アルルの女」の
メロディーの美しさに、心底陶酔する。「プロヴァンス太鼓」の響きには、
「江戸の祭り」に共通する何かが感じられる。清元・常盤津・長唄を思い起こさせる。
「ファランドール」の荘厳と雄大さには、しかも、それが、二つの曲を重ね、
音楽技術的にも難しい最高のアレンジだと聞くと、益々感激してしまう。
自分の頭の中に、あのような美しいメロディーが浮かんでくれば、美しい、
よい曲が作曲できるのだが、と思う。
以上





平成23年8月31日(水)[第23回配信] 頭がよいということ]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です


「頭脳明晰」の構造を考えてみると、次の4つがその要素になっていることが分かる。
 @脳中メモリーに情報を適切に(必要なものを過不足なく、速く)書き込む。

 A脳中メモリーに蓄積された情報が多く、消えていない。

 B脳中メモリーから情報を適切に(必要なものを速く)読み出す。

 C未知情報を創造する。

 中国の科挙試験以来、上の@ABに優れている者を選び出す方法が取られて来た。
Cは設問が難しいので、必要とされながら殆ど看過されてきた。それでも、@ABだけ
 でも充分優秀な人材を選び出すことができたが故に、記憶偏重な教育が行われてきた。
優秀な人材選別の方法も重要なテーマであるが、ここでは扱わないこととし、
ここでは、外部メモリーについて考える。代表的な外部メモリーである書籍を例として、
その構造を図示する





図に示したように外部メモリーの利用には、時間と労力を必要として、すぐの間に合わず、
即決を要する判断には、役に立たない。ところが、インターネットが利用できるようになり、
データーベースが整ってくると、図書館を座右に持っているようなもので、検索に要する時間が
大幅に短縮できた。さらに,ケータイ電話の普及で、図書館をポケットの中に持っている
ようになり、瞬時に疑問に答えてくれる機構まで出来ると、外部メモリーの利用が、
脳内メモリーの活用に限りなく近くなってきてしまう。大学入試の新たなるカンニング様式が、
話題となったが、もはや、インターネット以前の入学試験の方法の見直しが必要になろう。
書き方はワープロが教えてくれるから、漢字は読めればよいという時代が来るかもしれない。
漢字検定の意義を見直す必要が出てくるかもしれないと思われるのである。
以上






平成23年7月24日(日)[第22回配信][電子作文の勧め]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

昭和35年(1960)は、東京オリンピックの数年前だし、東京の車(乗用車)の数も
少なかった。車は冨の象徴で、社長は後部座席にふんぞり返って座り、
運転技術を習得した特殊技術者が、お抱えの運転手として雇われ、
前の席で運転するのが普通だった。その昭和35年にアメリカに留学して、驚いた。
社長も部長も、全員が自分で運転し、我々日本から来た学生を、
社長自ら運転して、案内してくれた。それがアメリカでは当たり前のことだと
分かってきて、運転技術も勉強しないで、偉そうにしている日本の社長は
怠慢で、それを認めている日本の社会が、非常に遅れているのだと認識した。
それから半世紀たった今、車の数も非常に増え、そんな怠慢社長も
殆どいなくなった。日本も先進国並みになったのである。
さて、次は、ワープロと(ワープロソフトを組み込んだ)パソコンの話題である。
日本には、漢字カナ混じり文という複雑な事情があって、欧米文の、
大文字・小文字・記号を合わせても、100に満たない字母だけを扱うものとは
違って、作文の機械化が容易でなかった。欧米では早くから英文タイプライターが
実用化されており、ほぼ半世紀前、電動タイプライターが実用化されるまでは、
 英文タイプライターは、電気に頼らない完全なただの機械であった。その名残が、
今もキーボード配列に残っている。電動タイプライターまでは活字を使っていた。
棒の先に大文字・小文字の活字を並べたものや、球面上に活字を
配置したものがあったが、1970年頃に、活字の代わりに、文字を
小さな点の集まりとして表す電子的な扱いが可能となり、ワープロが発明された。
わが国には戦前から和文タイプライターというものがあったが、
数100の活字を並べた板の中から必要な活字を探し出さねばならず、

欧米のワープロ発明から10年ほど遅れて、日本語文が扱えるワープロ作成された。
日本語の場合、カナまたはローマ字で入力されたものを漢字に変換する必要があり、
これは欧米文ではなかったことで、その開発は大変だったと思うが、
改良に改良を重ねて、現在では、満足できるものになっている。これでやっと
欧米並みに、苦労せずに日本文を機械入力出来るようになった。
電子技術に基づく日本文の機械作文を「電子作文(略して「電作」)」と呼ぶことに
したいと思う。電作は、手書きの作文と比べると、文字・行・段落の
挿入・削除・複写・移動など、文章の推敲が格段に能率よく出来るようになって
いて、非常に便利である。筆者は、昭和29年(1954)、社会人になった最初のボーナスで
中古のレミントン社製英文タイプライター購入し、独学で全ての指を使うキー操作を憶え、
今では、これも独学で、ワード・エクセルを使いこなせるようになっている。
それ故、手書き原稿を作らずに、直接「電作」で文章を打ち込んでいる。
上記の理由で、手書き原稿を作るよりはるかに能率が良いからである。
この分野では、日本はまだ遅れていて、運転を運転手にやらせて
、自分は後ろの座席でふんぞり返っている昔の怠慢社長と同様な状態が、
まだ多く見られる。すなわち、手書き原稿を、入力技術のある部下に
渡して機械入力させている例が可なり多く見られる。今は、社長も運転技術を
学んで、自ら運転するようになったように、近い将来、社長も、部長も、
みんな機械入力技術を習得して、自ら「電作」する時代が来るに違いない。
遅れている日本を取り返すために、誰もが、早く機械入力技術をマスターし、
電子作文(電作)が出来るように、みんなで、特に老人も、
勉強するようお勧めする次第である。手書き文の良さを強調される方がいるが、
「電作」が自由に出来るようになってから、はじめて、手書き文の良さを強調
されるのが良いと思う。
以上







平成23年6月28日(火)[第21回配信][文明の種類]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です


 文明開化といわれる明治維新の文明は、鉄道・蒸気機関にしろ、鉄船・軍艦にしろ、
織機にしろ、全て出来合いを買ってきたものである。それに必要な技術も、
例えば、織機を動かすために、女工たちにも来てもらって、手本を見せてもらうなど、
全て出来合いのものを持ってきた。これを「買入れ文明」と呼ぼう。次に、
これらの先進機械のコピーを自分で作ろうとした。豊田織機がその先頭と言えよう。
これを「模倣文明」と呼ぼう。以後の日本の文明の殆どがこれであるが、
稀に、「外国のマネはしない。自分で考えて自分でやる」ものがある。
その最近の代表が、「宇宙探査機はやぶさ」である。その他にも「新幹線」「ウォークマン」
「TRON」などがある。これを「オリジナル文明」と呼ぼう。「オリジナル文明」を「一流文明」と
すれば、「模倣文明」は「二流文明」、「買入れ文明」は「三流文明」と言うことになる。

 明治維新に先立って佐賀藩では、オランダからの情報を基に、蒸気機関(車)の試作に
成功したようである。とすると、これが、「模倣文明」の魁かもしれない。何れにしろ、
東京電力福島一号原発は、どうも、ここで言う「買入れ文明」「三流文明」のものらしい。
買入れたものだから、何かが起こると、買入れ元に聞かねば、何も出来ない。
まさに今回がそうであった。

 資本主義社会では、その文明は何文明でもよく、利潤が生まれればよいと考えている
ようであるが、人類の進歩に貢献すると言う観点から見れば、「一流文明が一番いいに
決まっている。
 次に、各文明の特徴を表にしてみる。


 
無能な国の指導者は、国内の技術開発力を知らず、解ろうと勉強もせず、
出来合いの外国の技術を、導入する。
自分が理解できなくとも、外国で成功したものなら、先ず、安心だからである。
これでは、一流文明は育たないのである。
以上






平成23年5月24日(火)[第20回配信] [自然科学を必修に]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です
(H23.4.4記)
東日本大震災における原発復旧の対応の悪さを見て、歯がゆい思いがした。
「全てが想定外だから、出来なかった」と何度聴かされたことか。
「想定外だから、英知を働かせて、すばやい対応」が必要なはずなのに、
そのことを全く放棄しているように見える。法律とか、
マニュアルは人間が作るものだから、すべて理解可能である。しかし、自然は違う。
人間の知らないことが一杯ある。進化途上にある人間の知りえたことは、
まだ、ほんの僅かである。自然科学は、この未知なる物を解明しようと
するものであるから、対象は「全て想定外」のものである。
物理・化学・数学の基礎知識を武器にして、自然に立ち向かって行くのである。
60億kmもの旅をして地球に帰って来た「はやぶさ」の偉業は、
連続して起きた想定外のことを如何にして克服したかによるものと言えよう。
法律とかマニュアルとか人間の作ったものだけを扱っている人には、
想定外のことを克服する技量も覚悟もない。
結局、2~3週間手付かずで、すぐ、外国の助けを借りなければならなくなった。
未知の事象に遭遇したら、先ず、相手をよく見ることである。
最初に原発建屋内の状況を写真にとることであろう。
未だに、一度も撮っていない。小型ビデオカメラを搭載した無人のヘリコプターを
ラジコンで操縦して、画像を手元のコンピューターに送らせればよい。
子供が玩具として遊んでいる位だから、それほど金の掛かるものではないだろう。
無人だから放射能も平気であろう。残留放射能が気になるのなら、
複数機用意して使い捨てにすればよい。地震から4週間になろうとする今まで、
自分で何もしないで、すぐに外国の援助を頼むなんて、なんという体たらく、
文科系の人間は、過去に在ったことを記憶しているだけで、
想定外のことに自分の力で立ち向かおうとしない。
自分で立ち向かう意気のないものが、上に立っているから、埒が明かない。
記者会見でも、自分の解っていないものを喋るから、
聴いている方も何だか解らない。新聞記者からも、
大切なことを聞く質問が出ないのは、こちらも解らない者なのかもしれない。
これからの文科系の学部を卒業するものには、
想定外のものにも立ち向かえるように、
自然科学的な物の考え方を必修科目として、学ばせなければならない。
特に、この国を背負ってゆくはずの、東大法学部の学生には、
自然科学を必修科目にせねばならない。
追記(H23.4.7)
 昨日の新聞で、「福島第一の原子炉の設計図は、
ゼネラル・エレクトリック(GE)から東芝などがまるまる買っただけで、
設計通りに作ることが当時の至上命題だった」事を知った。
この報道は、自然科学の考え方を持たない日本の高官が、自分で
は解らないので、外国で成功したものならよいだろうという単純な考え方に基づいて、
外国からの導入を決め、しかも、日本に合った物にする手直しさえ禁止したように取れる。
福島第一の原発は、自分で設計して作った物ではないから、細部のことがよく解らない。
解らないから対応に身が入らないなんて、今は、そんなことを言っていられない
事態なのである。福島第二の原発は、
日本の事情に合わせて改良されていたそうで、これはトラブルに成らなかった。

何れにしろ、宇宙研の「全部、自分で考えて、自分でやる」精神が如何に
大事であるかが、
これでも、よく解った。
以上






平成23年4月25日( 月)[第19回配信][なぜ日本で機械文明開花せず]
大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

  坂本龍馬らが「黒船」(鉄の船・蒸気機関)を見て、西洋の機械文明に驚き、
これが「明治維新」という幕藩体制の崩壊にも繋がったわけですが、振り返ってみて、
それでは、なぜ江戸時代に、日本で機械文明が開花しなかったのでしょうか?
この疑問には誰も答えてくれていません。江戸時代の解説書
(「江戸」という週刊誌もすでに60冊も越えているのに)も、
このことには触れていません。徳川幕府は、諸大名や庶民の反抗を恐れて
、多くの禁止事項を定めました。思いつくまま、その幾つかを上げてみます。@御朱印船
のような外洋に乗り出せる大型船を禁止A平安時代のような大通りを禁止
B大きい橋を禁止(大井川など
人足の肩の上でしかわたることが出来なかった)などなど。
しかし、その要因は、為政者の保身のせいだけではない様な気がします。
イギリスの王室は、特許制度を定めて発明を奨励しましたし
、議会制民主主義まで認めているのです。「身の安全のためには、
(その中身の重要性も考えず)何でも禁止とする」
その短絡的な態度が問題なのではないでしょうか。
その本質を見極める能力の欠如が最も大きな要因ではないかと思います
。これは、現代にも言えることかもしれません。日本人の欠点の一つかもしれないと
思うのです。
以上





平成23年3月21日(月)[第18回配信][温故嗤新(オンコシシン)]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

  時代の流れは複雑であるが、その底流には何か法則がありそうで面白い。
幾つか例を示そう。@今までの体制を維持しようとする尊皇攘夷派が
破れ、開国となった。A従来の大船巨砲主義で「武蔵・大和」を
造った軍が、制空権を奪われて敗れた。航空機の時代になるのが、
読めなかったのである。B江戸一番に地価の高い、表通りの本町通り
(現在の大伝本町通り)が、当時、裏通りであった本石町通のところに
出来た「江戸通り」に、現在は、完全にお株を奪われている。
C藤沢本町は、昔の藤沢宿の中心であったが、鉄道省が藤沢に「駅」を
造ろうとした時、そんなものに来られては煩くって困ると反対し、ずうっと
南の田圃の中に作らせた。これが現在の藤沢駅につながる訳で、
藤沢駅前の繁栄は、藤沢本町のそれとは雲泥の差である。これを、
「温故知新」をもじって、「温故嗤新(オンコシシン)」と呼ぼう。古いからいいの
だと、威張って、新しいものをあざ笑った報いである。D当町会関係
でも、同じようなことがある。新しく企画された七福神めぐりに、うちの
恵比寿様はもっと古いんだからと、新企画をあざ笑って参加しなかった。
新企画が成功裏に進んだものだから、後になってノコノコ参加させてもらう
はめになった。そこでは新参者の扱いとなり、古い伝統のある恵比寿様が
泣いている。以上挙げた例は、過去のことであるが、今後も、当町会は
心せねばならない。「一番古い住民の町だ。江戸で一番初めに栄えた
町だ。伝統あるべったら市だ。」と毎年その伝統を守ることに大変な
努力をしているのは、当町会として当然のことであるが、それだけでは
ない。最近では、この地域を活性化しようとしている新しい活動が、
幾つも出てきている。それら新しいものをあざ笑ってはいけない。
その活力を真摯に受け止め、我々も新時代の流れを見失うことの
無いように心せねばならない。時代に取り残されてしまう。
以上







平成23年2月24日(木)[第17回配信]
大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です
 12月中旬に、「戦争の記憶」という題で、中央区の取材を受けたので、その時に、
中学校時代のことを色々思い出させてもらった。戦時下の数学の授業は、
教科書は薄っぺらだったに、内容のレベルが非常に高かったことを思い出した。
電卓は勿論まだ無く、計算尺の時代だったので、中学1年でみんなが計算尺を買わされた。
また、入学してすぐに「バーニヤー」だの「サイクロイド」などの原理を習った。中学3年の末には、
「微積分」まで教わった。戦争に青少年の手も必要と考えたのであろう。
そのために高度なレベルの理数を教えたのだろうと思う。さて、現代に戻ってみると、
日本の中学3年生(15才)の実力レベルが世界の中で8位に戻ってきたと安堵
している報道であるが、誠に情けないことだと思う。
新参加の「上海」の中学生が全ての一位を獲得したと言うことである。
「ゆとり教育」とやらで、教育レベルを故意に下げた教育関係者の猛省を促したい。
指導レベルは、生徒の成績レベルの最高レベルを与えなければならない。
着いてくる子は必ずいる。ついてこられない子は、努力して、後から来ればよい。
学習意欲のある少年期に学習機会を奪われた子供たちは誠に気の毒である。
後から取り返すのには時間が掛かる。その分の学習機会を奪った教育関係者は、
大いに責任を感じてもらいたい。
以上








平成23年1月24日(月)[第16回配信]
大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です
 以前のこの多事争論で、「日本人は生来、『原因を見過ごして究明せず、結果を取り繕
って物事を解決する』癖がある」と書きました。これを四文字で「過因凌果」と表現したい
と思います。この反対に、原因を究明して成果を上げることを「究因成果」と呼ぶことに
したいと思います。現在の問題でも、「過因凌果」はあちこちに見られます。
例えば、天下り問題。これへの対応の仕方は将に過因凌果です。天下りを防ぐと言っても、
最後に起こった天下りの事実のみを取り上げ、それをどう防ぐかと、結果の取り繕いだけを
考えて、それが起こる構造的な原因がどこにあるかを究明しようとしない。まして、原因が
何であるかを考えもしない。その原因要素は一つではなく、複数あると思いますが、
みんなでそれを見つけ出す必要があると思います。一つにはキャリアー官僚の互助会構造
があるでしょう。更にそのもとには、「公務員に人事考課制度がない」ことがあるよう気が
します。民間会社では、どこでもごく当たり前にやっていることが、公務員にはないのです。
人間の能力には、人それぞれに差のあることは当たり前のことです。これを全員平等で
評価が同じとすることが、根本的な大きな誤りです。個々の能力の差は、常々側にいて
見ている人には判ります。また、常々側にいて見ている人にしか判りません。だから、
直属上司が判断するのが一番よいのです。その採点を、その上の上司が評価するの
ですから、偏った判断は是正されます。自分を評価する人が側にいないから、
退庁時間を待って一斉に退庁するなどと言う おかしなことが起こるのです。同期生の
能力が全て一緒と言う考えだから、一人が次官(元の)になったら、他の同僚を同等の
天下り先に斡旋しなければならなくなるのです。常々、人事考課で差がついていれば、
評価の低い者は、それなりの処遇にも納得がゆく筈です。民間会社では、これで、
納得の行く定年を迎えているのです。
以上






平成22年12月12日( 日)[第15回配信]
大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です
 以前のこの多事争論で、「日本人は明治以来、欧米のマネばかりで、ダメだ」という主旨のことを
書きました。しかし、これを改めねばならない事情が出て来ました。ご存知の「はやぶさ」の偉です。
ペンシルロケットで有名な糸川先生(この方は、先の大戦で、ゼロ戦と並び賞せられた
「隼」戦闘機の設計者でもあったのです)の率いる「宇宙研(現JAXA)」の大方針が「欧米の真似は
しない−全部自分で考えて自分でやる」というもので、その結果が、今回の「はやぶさ」で実を
結んだということです。まず、@打ち上げロケットからして、欧米のやらない
固体燃料ロケットです。A探査機のエンジンは、世界初のイオンエンジン、Bそれを駆使し、
地球の重力を利用して加速するスイングバイ、C自律ロボットとして、独りで、小惑星イトカワの
計測・測量・着地点決定・着地・離陸、D帰還時、大気圏突入の際のカプセルの保護、
E全部にわたって使われたコンピューターへの命令言語のOSは、国産のμITRONなどなど、世界に
誇れる数々の偉業が、ことごとく欧米の技術に頼らないオリジナリティーのあるものばかりです。
日本にも、欧米のマネをしないで業績を上げる人々のいることが証明されました。ではなぜ、
日本の発明が容易に事業化に繋がらないかを考えてみると、「前例のないことを嫌う役人」
に象徴される日本人の体質にあるのだと思います。宇宙研の方々は、これらの周囲の
抵抗を排除して、よくここまで成果を上げることが出来たものだと、この面でも、その勇気と
努力に対して、絶大な賞賛を送ります。今日、平成22年11月16日に、カプセルの中に
イトカワの粒子が確認されたと報ぜられました。月と彗星以外の
天体から物質を持ち帰ったという、これまた、世界的な快挙です。
以上






平成22年11月5日(金)[第14回配信]
大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

今年のべったら市が事故もなく終わり、ほっとしている所です。今年のべったら市で
初めて出した「馬込勘解由屋敷跡」文化財説明板の拡大ボード板のことについて少し
書きます。平成5年6月10日に中央区教育委員会から出版された「中央区沿革図集・
日本橋編」で紹介された「寛保沽券図」寛保四年(1744年)で、当時の大伝馬町二丁目
北新道(キタジンミチ)(現在の大伝馬町一之部町会えびす通)の北西角に、400数年前、
宝田村から引っ越して大伝馬町を創立した時の指導者、名主馬込勘解由の屋敷が
あったことを知りました。また、平成21年(2009年)3月に江戸東京博物館高山慶子
専門研究員により「大伝馬町名主の馬込勘解由」(東京都江戸東京博物館調査
報告書第21集)が発表され、馬込勘解由につき詳しく知ることが出来ました。大伝馬町
としては、由緒深い方でありますので、そのことを誇りに思い、平成22年春に、
馬込勘解由屋敷跡を顕彰する何かを建てたい考え、中央区に文化財説明板の設立を
申請しました。石島秀起中央区会議長のお口添えもあり、中央区教育委員会により、
「馬込勘解由屋敷跡」の和文・英文による文化財説明板が、べったら市に間に合うように、
平成22年9月26日に設置されました。その位置の説明板は、べったら市の日には屋台の
陰になり、見にくいことと、それ自体それほど大きくなく、人目に付きにくいので、その和文
(一行の字数も元文と同じく揃えた)と英文の文面とを数倍に拡大したものを、べったら市
期間中、寶田恵比寿神社前に展示しました。べったら市の人ごみの中で、多くの方々
(外国人も)が、これを見てくれました。
以上






平成22年10月3日(日)[第13回配信]
大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です
 これは、8月15日に書いています。第65回終戦記念日で、正午に、十思公園で「時の鐘」を撞
き、戦没者の追悼と世界平和を祈りました。夕方18:30より十思スクエアでの盆踊り大会に参加
しました。そのとき矢田区長と戦争の思い出話をしました。
 戦地は勿論のこと、あの時、東京も将に戦場であったのです。昭和20年3月10日の東京大空
襲では、幸い我が家は、火の海のギリギリ外側で焼け残ったので、翌朝、学校(都立三中)(現
両国高校)へ行こうと、大伝馬町から焼野原を歩いて両国へ、橋を渡って焼け野原を緑町まで
行ったときに、マネキン人形が黒くなって転がっているのを見ました。少し行って三つ目通りにか
かったら、黒い姿の数が急に増え、それがマネキンではなくヒトだと気付きました。江東橋を渡
たらすぐ学校。その校庭にも沢山の黒いヒト。その光景は今も目に焼きついています。仲のよ
かった小林も伊藤も出水もそれ以後、学校へ来ませんでした。一家全滅だから、死んだと言う
報告がないのです。一晩で、いや、12時から4時ごろまでのたった4時間で10万人ものヒト(非

戦闘員)が殺されたのです。下手人が空の上にいて見えないので、天災と混同されやすいが、
これは明らかに大虐殺です。広島・長崎の原爆犠牲者は、毎年、総理大臣や外国からの来賓
も出席して追悼式が行なわれているのに較べて、大空襲の犠牲者は、関東大震災の犠牲者の

同じレベルのささやかな供養が行なわれる程度では、あまりにも可哀相です。当日亡くなられた
方々のご冥福をお祈りして、筆を置きます。
以上





平成22年9月5日( 日)[第12回配信]
大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です
 先月(平成22年8月[第11回配信])、日本が誇る宇宙探査機「はやぶさ」に搭載されていたOS
(operating system)(コンピューターに命令するシステム)は、マイクロソフト社のWindowsでも、アップル社の
Macでも、iPadに使われているObjective-Cでもない、完全に日本人の発明したμITRONである
ことを書きましたので、その後、TRONについて少し調べてみて、改めて驚きました。
 先月も少し書きましたが、TRONというのは、WindowsやMacなどのように、PC(パソコン)に使わ
れ、我々の眼に見える形で使われているOSとは、全く違うもので、一般のユーザーの目につか
ない所で活躍している、裏方のOSであるということです。しかもこれは、我々が普段使っている
家電製品(例えばケータイ、洗濯機、冷蔵庫、炊飯器などなど)に、すでに、ごく当たり前に組み込
まれているOSなのだそうです。それらに組み込まれているコンピューター・チップの総数は、パソコンに
使われているコンピューター・チップの総数よりはるかに多い、膨大な数なのだそうです。我々は日
頃、知らないうちに、ごく当たり前に、TRONのお世話になっているのだそうです。社会が、コンピ
ューターを多用するコンピューター社会になりつつあることは、薄々分かった積りでおりましたが、すで
に、見えないところで、いたるところで、コンピューターのお世話になっていたのかと、認識を新たに
しました。その大分が、TRONという日本人の発明による国産品であることに、我々は、もっと
誇りを持たなければならないと思います。なぜ、マスコミや政府は、これをもっと宣伝し、国民に
認知させないのでしょうか、不思議に思います。特別な意図もあるとも思えないので、勉強不足
の怠慢なのかもしれません。「はやぶさ」を契機として、この裏方の業績をもっともっと顕彰した
いと思います。
以上






平成22年8月9日( 月)[第11回配信]
大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です
 この文章は、6月16日に書いておりますので、少し時間的なズレがあるかもしれません。お許
し下さい。
 先日、宇宙探査衛星「はやぶさ」が60億キロの旅を終えて、地球に帰還し、カプセルを離して、自
身は燃え尽きました。そのカプセルも無傷で無事回収され、明日、日本に届くとのことです。すべ
て世界初の輝かしい成果です。世界初のイオンエンジンのすばらしさ、自分で判断して行動で
きる人工知能、あまたの困難を乗り越えて、地球から指令を送り続けたJAXAスタッフのすばらし
い努力、などなどが、日本の成果として報道されておりますが、そこに使われた、機械への命
令言語が何であったかを、マスコミは報じておりません。インターネットで調べますと、そこで使われ
た言語は「μITRON(ミューアイトロン)」という純国産のOSだそうです。トロン(TRON)と言うのは1984
年に坂村 健 東京大学教授により提案されたコンピューター言語で、その後いろいろと発展し、現
在では、家電製品の殆どに、目に見えない形で組み込まれた裏方のコンピューターとして使われて
いる、我々が毎日お世話になっているOSなのだそうです。前回の第10回配信で書きましたが、
Microsoft社のWindowsやApple社のMacやObjective-CなどのOSが、今の所、もてはやされて
おりますが、今回の「はやぶさ」の偉業の蔭には、純国産のOSである「TRON」が使われていた
事を、誇りに思い、マスコミも、これをもっともっと、報道すべきだと思います。この偉業は、まさ
に、言語も含めて全てが、輝かしい日本の成果なのですから。
以上




平成22年7月01日( 木)[第10回配信]
大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です
 「コンピューターを使って仕事をする」と言いますが、それには、次の二つの意味があることを理
解し、二つをきちんと区別しなければなりません。
Aコンピューターを働かせて仕事をする。
Bコンピューターに働いてもらって仕事をする。
の二つです。
Aは、コンピューターに仕事の仕方を全て教えて、その通りやらせる。
Bは、コンピューターが仕事の仕方を予め教えられた通り、すでに全
                   部知っていて、やれと言うだけで、コンピューターがその通りやる
の 違いです。例えて言えば、
Aは、申請手続きの仕方を、全部自分で調べて、自分独りで申請
書を書く。
Bは、代書屋に頼んで申請書を書いてもらう。
の違いでしょう。
Aを「命令使用」
Bを「依存使用」
とでも呼びますか。
 コンピューターへの仕事命令は、コンピューターと言う機械が理解できる言葉(コンピューター言語)で書か
なければなりません。その言語の文法も決まっていて、それに基づいた文章で書かねばなりま
せん。その命令書が「プログラム」で、命令書を書くことが「プログラミング」です。コンピューターはただの
機械ですから、誰かの書いた命令書がなければ何も出来ません。
iPadが日本でも発売され、若者たちが夢中になって買い求めていますが、使って楽しむだけで
なく、その裏には、Apple社のObjectiveCという言語で書かれた優れたプログラムがあることを忘
れないでほしいと思います。ゲームを楽しんで喜ぶだけでなく、日本人も自分で優れたプログラム
を書いてほしいと思います。
以上






平成22年6月3日( 木 ) [第9回配信]
大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です
 先日、長男夫婦のいるシカゴに行ってきました。久しぶりの外国で、いろいろ新しいことを発
見しました。例えば、@航空券の窓口では、ほぼ満席で、隅の席しか取れないと言われました
が、出発の72時間前から出来る「ウェブチェックイン(Web-Check in)」ならいい席が取れるかも
知れないといわれて、やってみたらうまくいきました。自宅で、インターネットに繋いで、画面の
指示通りにやったら、自分ひとりで、自由にいい席が取れました(但し、マイレージカードとパスワード
が必要です)。昔では考えられないことで、感激しました。Aシカゴ郊外のミツワショッピングモールで、
「新高屋」さんを発見したんです。べったら漬けも売っていて、すっかり興奮して日本には行った
ことがないという店員さんと、しばらく話し込んでしまいました。今までの海外旅行は、殆ど一人
で行っているので、面白いことにも、怖い目にもあっています。現地の生活に飛び込むことが、
海外旅行の楽しさです。下手な現地語でタクシーに乗ったり、航空機予約の再確認を電話でやっ
たり(現在はこの再確認の必要はなくなりました)、スチュワーデスにトランプカードを貰ったりしました。
今までに一度しかツアー旅行をしたことがないのですが、ツアー旅行では、日本を出る前から、お
膳立てが出来上がっていて、全て言われたとおりに、ついて行くだけです。これでは、幼稚園の
遠足と同じではありませんか。違う点は、高価な買い物(これも決められた土産店で)位です。
外国でも人が生活していて、そこの生活があるのに、それに触れられなければ、3Dのパノラマヴ
ジョンを見るのと同じです。スクリーンの向こうには入れないのです。現地の生活に触れるために
は、だから、現地語の勉強が予め必要なのです。
以上



大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です
 前回に引き続き、日本人は、「あえて平成22年5月9日( 日)[第8回配信]
対象物を直さず、多少不便があっても、対処法を工夫して対応する」という性質があるという、
三つ目の例を上げます。
例3 「会計数字の3桁切り」
 不思議でしょうがないのが、日本中が、会計数字を西洋の読み方にあわせた3桁で切りで書
き、読みは日本語の「万・億・兆」を使っていることです。数字を読むときに、頭の中で、千・百
万・十億・兆に区切りがあることを心得て、瞬間的に正しく呼称しています。ご苦労様なことで
す。これなどは「あえて対象物を直さず、多少不便があっても、対処法を工夫して対応する」典
型的な例でしょう。不便を厭わず、一生懸命、瞬間的に読めるようになるよう努力し、これが出
来るものが賞賛されるのです。しかし、この不便を解消する方法を発明しないのは、発明の努
力を怠っているとしか思えません。日本人の怠け者の一面が出ているとしか思えません。我々
の小学校の頃、戦争中には、4桁で切る方法も教わりましたが、これは国粋主義の教育で、戦
後は、これでは世界に通用しません。止むを得ず、今の3桁切りを万・億・兆で読むやり方にな
ったのでしょう。
 万、億、兆の桁の数字の上に、アクサンシルコンフレクス(^)か何か印をつけるようにすれば、一応の
解決法になりましょう。
 尺貫法改正では、キロ・ヘクト・デカ・センチ・ミリ・ミクロ・ナノ・ピコを導入し、西洋とも共通になりました。
金額表示も、キロ・メガ・ギガ・テラを使えるようにしたら、「会計数字の3桁切り」の問題は解決しま
すがね。キロ円(千円)、メガ円(百万円)、ギガ円(十億円)、テラ円(一兆円)なんて、慣れれば、キログラ
ム、キロメートル同様に使えるかもしれませんね。

日本人の発明下手を裏付ける例は、他にも沢山ありますが、これで止めます。では、また。



平成22年4月3日( 土)[第7回配信]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

 前回に引き続き、日本人は、「あえて対象物を直さず、多少不便があっても、対処法を工夫し
て対応する」という性質があるという、二つ目の例を上げます。

例2 「着物」

 四角い布を出来るだけそのまま使って作った着物は、その着付けが難しい。特に女の着物
は紐を何本も使って体に固定させる。丈を調節するために、たくし上げを行う。それにまた紐を
使う。体に合わせて着付けるから、別の人でも着ることが出来、祖母が若い頃来た着物を、孫
娘が着るということも出来る。テレビの「天地人」で見るごとく、優雅ではあるが、活動には向い
ていない。洋服は体に合わせて裁断し仕立てるから、その服は原則として、別の人は着られな
い。しかし、活動には向いている。現代人が洋服を着るのは、それが活動に向いているためで
ありましょう。これが日本人の「あえて対象物を直さず多少不便があっても、対処法を工夫して
対応する」という一例でしょう。発明をして対象物を直すということをあえてしないで、面倒な対
処法を真面目に守ってゆくのが美徳であって、対象物を直す発明をするなんてことは、横着者
のすることで、面倒な対処法を「真面目に守れ!」と叱られたりもする。これが日本人の原生質
なのかも知れません。対象物を尊重して、いじらない良さは大いにあり、これが日本の美かも
知れませんが、これでは発明は育たないのです。こんな例は他にも沢山あります。例えば、日
本庭園−西洋庭園、白木作り−ペンキ塗り、などなどです。

現状否定が発明の原点ですから、やさしい日本人には向いていないのかも知れません。


例3は次回に回します。

以上






平成22年3月8日( 月)[第6回配信]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

 前回、日本を発明社会にするためには、年寄りの勉強が必要だと書きましたが、日本の「発
明下手」には、もっと深い所に原因があるのかも知れません。日本人の中には、「あえて対象
物を直さず、多少不便があっても、対処法を工夫して対応する方を選ぶ」という遺伝子がある
のかも知れません。これが日本人の性に合っているというか、これが日本人の原性質なのか
もしれないとさえ思えるのです。そんな事例は沢山ありますが、以下に幾つか例を上げてみま
す。

例1 「漢字の訓読」

 他民族の文字をそのまま使って、それを自分の民族の言葉で読むなんていうことをしている
民族は、世界中探しても、ほかには無いそうです。音韻の多い中国語に合わせて作られた(発
明された)漢字を、アイウエオ+αしかない、音韻の少ない日本語で読もうとするから、同音異
義語が沢山出来てしまい、混乱を生ずることになったから、漢字を併記する必要が生じたので
しょう。逆に言えば、漢字を訓読するようになったのでしょう。朝鮮半島では、中国から輸入さ
れた多数の音韻を解決するために「ハングル」を発明して対処したのだそうです。日本では、
そんな発明はされませんでした。覚えてしまえば、「漢字の訓読」の良さは大いにあり、今我々
は、その良さを満喫しておりますが、覚えるのが大変で、相当のエネルギーが必要であること、
また、発音だけでは判別できず、「どんな字で書くの」と一々漢字にしてもらわないと解らない
(特に名前)、など、他の言語を使っている人々には解らない不便さがある。我々は、こんな手
数を不便と思わず、一生懸命に対応しています。これを真面目な勤勉な態度と賞賛さえしてい
ます。

 これが「あえて対象物を直さず多少不便があっても、対処法を工夫して対応する方を選んだ」
一例でしょう。こんな例はほかにも沢山ありますが、長くなるので、今回はここまでとし、例示の
続きは、次回以後に回します。それにしても、折角、覚えた漢字です。これは、世界に類の無
い、日本人の財産ですので、この財産を、今後のIT技術などに活用できないものでしょうか。諸
賢のアイディアに期待します。漢字はアイコンそのものだと思うのですが。

ではまた。

以上





平成22年02月02日 (火)[第5回配信]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

 前回に続いて書きます。日本に発明家は沢山いるのに、なぜそれが新規事業に結びつかな
いのだろうか。それは、発明の価値に気づき、それを引っ張り上げて新規事業にまで持ってい
こうとする国民的意思が欠如しているからだと思います。特に、まだ決定権を持っている年寄り
の責任は重いと思います。手元に、祖父が書いた古文書の写しがありますが、それによると、
明治の頃は、60歳になると「隠居届」を日本橋区役所に出して、家督を次の世代に譲っており
ます。今は、年寄りが隠居せず決定権を持ち続けているのに、新しいことを勉強せず、時代に
ついて行けないのです。昔は、「10年一昔、人生50年」と言われていましたから、大学を出てか
ら、新しいことを勉強しなくても、すぐに死んでしまったので、問題は無かったのですが、今は違
います。「人生80年100年」、コンピューターはほぼ3年で新機種が出、ケータイ電話にいたって
は3ヶ月で世代が代わる。すなわち「3年一昔、3ヶ月一昔」なのです。決定権を持っている年寄
りが、新しいことを勉強 せず、時代について行けずに無為徒食していては、国を滅ぼすことに
なりかねません。ITの必要性、重要性を認識していない評論家がいることも困ったことです。今
こそ、年寄りが勉強し、新しいことに挑戦しようではありませんか。コンピューターやインターネ
ットやメールを若者任せにしてはいけません。

 昭和35年(1960年)(当時、日本に高速道路はまだなく、手回し計算機で計算を行なっていた
時代です)フルブライト留学生として米国テキサス大学で微生物研究をしていた時に目にした
光景を想い出します。1960年では、米国でも勿論まだパソコンはなく、大型コンピュウターしか
なかった時代です。フレッシュマンらしい若い女子学生が、教科書の束(彼女らは鞄を持たず
教科書を束ねて持ち歩くのです)の上に穿孔式のIBMカードの束を持って、時々、自由にコンピ
ューター室に入って計算をしている姿が目に焼きついています。アメリカはここまで進んでいる
のかと頭を殴られた気がしました。「日本は物凄く遅れている。大変だ!」と思ったのです。で
すから、帰国後、コンピューターの利用について一生懸命勉強し、仕事にも沢山コンピューター
を利用してきました。幸いその後、日本にもコンピューター時代がやってきました。そういう経緯
で、私は、今でも若者に負けないぐらい、コンピューターを駆使しておりますが、諸賢のご努力
に期待します。新しいものの価値がわかれば、新しい発明を取り上げられるようになります。続
きは次回で。

以上



石倉 知之




平成22年 1月 3日 (日)[第4回配信]

大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です

 「坂の上の雲」のテレビを見ると、明治は意外と最近のように感じます。軍艦を買い、初めて
憲法を作るなど近代化に忙しい様子がよく分かります。その頃、イギリスでは蒸気機関を発明
して鉄道を敷き、議会制度をつくるなど、他には無い、数々のものを創り出していました。すな
わち「発明社会」であります。明治維新の先覚者達は、日本を近代化するのに、とても「発明社
会」にまですることは出来ないから、取り敢えず、真似をしようと考えて、フランスから紡績工場
を女工ごと連れてきて富岡に官営工場を建て、みんなして、これを真似して学んだ。これが日
本の「模倣社会」の始まりです。その後の100年間、自動車をはじめITに至るまでずっと真似を
続けてきました。改良は得意だから、これを生かして、遂に世界1〜2の国になりました。しか
し、これから先、これでよいのでしょうか。自ら発明をしなければ、他国が発明するまで、足踏
みをして、待っていなければなりません。中国、インドが追いかけてきています。中国は「漢字」
を発明した国です。インドは「0」(零、ゼロ)を発明した国です。今後の日本はよほど心を入れ
替えないといけないのではないでしょうか。政治紛争にだけ明け暮れていてはいられないので
す。どうすればよいか、それは、次回以後に書きます。ではまた。






平成21年12月13日(日)[第3回配信]
大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です。

地名の呼称は、その土地に住んでいる人によって言い伝えられたものでありますので、理屈抜
きで、その土地の人に聞かねば判りません。日本語のアクセントは高低アクセント(NHK日本語
発音アクセント辞典1998平成10年)ですが、これが文字で表示されないために、混乱が生じま
す。この近所の地名について、ここで生まれたものにとっては、大変耳障りになる事例が間々
ありますので、幾つか例を挙げます。高低アクセントの表示は、上記辞典とは異なりますが、
低音部分に下線を付し、次が上がる時には/で、次が下がる時には|で区切りました。


1.1 人形町(ニ/ンギョウチョウ)VOICE001.3GP:我々の子どもの時から言われている発音

1.2 人形町(ニ/ンギョウ|チョウ)VOICE002.3GP:メトロ日比谷線人形町駅ホームのアナウン
スの発音

2.1 茅場町(カ/ヤバ|チョウ)VOICE003.3GP:我々の子どもの時から言われている発音

2.2 茅場町(カ/ヤバチョウ)VOICE004.3GP:メトロ日比谷線茅場町駅ホームのアナウンスの
発音

3.1 末廣町(ス/エヒロ|チョウ)VOICE005.3GP:我々の子どもの時から言われている発音

3.2 末廣町(ス/エヒロチョウ)VOICE006.3GP:メトロ銀座線末廣町駅ホームのアナウンスの
発音

駅のホームのアナウンスの発音がこんなに違うので、よその駅に来てしまったのかとさえ思い
ます。ぜひ地元の発音を尊重されて、アナウンス・ソフトを訂正してほしいと思います。昔は、口
伝えに情報が伝わったので、この種の誤りは起こりにくかったと思いますが、今は、メディアを
通じて情報が伝わるので、この種の誤りが起こりやすいのでしょう。よほどの注意が必要で
す。
以上






平成21年11月8日(日)[第2回配信]
大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です。
 この町会は、歌川広重が「東都大伝馬街繁榮之圖」に画いた様に江戸最初の太物(木綿)商
の町として栄えた町です。その伝統を受け継いで、戦前、我々の子供の頃には、この近所には
呉服商の大店が沢山ございました。それが、戦時中の統制経済やその後のバブル経済など
の影響を受けまして、呉服商の数は激減し、今では、非居住部屋貸しビルやマンション(居住
部屋の分譲・賃貸ビル)が目立つ町になってしまいました。それでも、そこには昔から住んでい
る人がおり、江戸時代から続く老舗もあり、伝統ある「べったら市」も毎年続けております。
 ここで、江戸時代から最近までの集合住宅の管理の変遷を振り返ってみようと思います。表
をご覧下さい。



江戸時代は長屋で、管理は大家がしていました。大家は家持ち土地持ちから家賃集めを委託
された差配です。「店子にとって大家は親も同然」と慕われていて、大家は店子の生活の面倒
も見ていたのです。土地持ち家持ちは、祭など地域に必要な費用を負担していました。一時前
のアパートでは、大抵管理人が一緒に住んでいて、住人の面倒を見ていました。この頃のマン
ションの時代になると、管理会社が外にいて、管理人を置かない所も出てきました。そこでは
人が生活しているのです。ゴミが出る。自転車を置く。家の前が散らかる。その度に管理会社
に電話で注意しても「建物の管理はするが、住人の生活に責任はもてない」との返事。法律が
ないからやる必要はないと言われても、町会としては困るので、マンションがこの町にスタート
する時に、個々に約束させて、上の3つは守ってもらうようにしておりますが、管理会社の担当
者がしょっちゅう変わってしまうので、連絡が徹底せず、誠に困っています。管理会社に、昔の
大家のように住人の生活にも責任を持つような条例を作れないものでしょうか。江戸時代のシ
ステムの優れていたことを、ここでも改めて感じます。
うちの町には、べったら市をはじめ伝統的な行事がありますが、賃貸マンションの管理会社に
もオーナーにも、その伝統文化を守ろうという意識などなく、情けなくなります。最近では、オー
ナーがファンドで、アセットマネージメントなどといわれる会社が間に入って、利益追求だけしか頭にな
いらしく、地域との距離が益々遠いものになってきております。このままの傾向でマンションが
増えていきますと、地域の伝統文化が守れなくなってしまいます。
今のうちに、条例を定めて、住宅のオーナーおよび管理者にその地域の歴史・伝統文化の尊
重を義務付けることは出来ないでしょうか。地域の歴史・伝統文化を守ってゆくのは、そこの住
人だけの責任ではないからです。
日本の歴史遺産である地域の伝統文化の衰退が心配です。地域の伝統文化を守るために、
出来るだけ早い対策が必要だと思います。






平成21年10月11日(日)[第1回配信]
大伝馬町一之部町会会長の石倉知之です。
この度、当町会副会長秋山義博さんによって、当町会青年部のホームページが開設されまし
た。おめでとうございます。このホームページを先日、中央区地域振興課と共に開設した「大伝
馬町一之部町会のホームページ」からリンク出来るようにしようと思っています。青年部のホー
ムページを開設されたご努力に敬意を払うと共に心からのお祝いを申し上げます。このホーム
ページは日を追って改訂される予定だそうですので、その都度、会長メッセージも配信させて
頂こうと思っております。
昨日は、米国オバマ大統領のノーベル平和賞が決まり、また、朝日新聞天声人語に紹介され
た岩井謙一さんの詠んだ一首「おそらくは今も宇宙を走りゆく二つの光 水ヲ下サイ」(二つの
光とは広島・長崎の原爆の光のことだという)に、厳粛な思いを抱きました。
では、また。





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